荷物をおいて

気付いたらいろんなものを背負っていたと思う。

ほかのひとの人生とか、生活とか。

 

サラリーマンとして会社に出勤していたころは毎日12時頃の終電に間に合うように、駅まで走って帰るのが当たり前だった。

 

おまけにかなりの肉体労働で、部活か。ってくらい走り回って汗をかくし、お昼ご飯も抜いて夜中まで働くのが常だった。終わらない繁忙期に感覚も麻痺して、それがいつの間にか当たり前になっていた。

 

でもそれでよかった。

自分が身を粉にして働いて、一緒に働く人たちの生活を守っているつもりだったから。どんなに疲れていても遅くなっても、今日も会社を守れたぞ!みたいな、謎の使命感に駆られていた。人間ひとりができることは限られているのに、限界なんてないような気になっていた。

 

「いつもがんばってるねー!」「大変だね。がんばってね」

そう言われ続けていたら、暗示のように「自分はいつも頑張っている人」っていうキャラでいようとしていたような気がする。最終的には10分のお昼休憩でさえ、ご飯を食べているところをだれかに見られると「あ、今日は休憩取って余裕だな」って思われる気がして落ち着かない。

 

今考えると、ぞっとする。

 

「周りの人を大切に・親切に」も大事だけど、「自分のことも大切に」

荷物をおいて、ようやくそう思う。

 

子供たちにはそう伝えていこう。

 

ぼーっとしたっていいじゃないですか。迷惑のかからない程度で。

 

 

 

一日目の朝

「今日パパとほいくえんいくのー!?やったー!」って子供たちはかわいい飛び切りの笑顔で飛び跳ねて喜んでいるけど、僕は顔面に笑顔を作るのがやっとだった。

 

仕事をお休みするようになってもう2か月。満員電車に揺られ揺られて会社に流れ着く毎朝だったけど、今日から電動自転車で子供たちを保育園まで送り届ける係になりました。

 

心配事はたくさんある。「保育園ってどうやってはいるの?」「先生に何て言えばいいの?」奥さんに色々教えてもらうんだけど、後で冷静に考えたらそんなこと行けばわかるじゃんってことばかり聞いていて、少しなさけなくなった。

 

ヒザが前の子供のシートに当たってかなり窮屈。大の大男が、がに股でふらふら電動ママチャリにのっている姿を想像するとなーんか変だと思う。様になってないというか、なんというか。慣れない自転車に遊ばれながら、保育園につくと気づいた。4歳の子供たちのほうが僕より堂々としている。初めて保育園に送りに来たパパが迷わないように案内してくれるのだ。そりゃそうか。保育園に関しては子供たちは、物心のついてない0歳からお世話になっているから大先輩なのだ。

 

「くつはここでぬぐんだよ」「ここにじかんかくんだよ」って、頼んでないのに教えてくれて感動した。困ったらどの先生に聞こうかな…って考えていたけど、我が子たちに手取り足取り教えてもらうことになるとは。4歳ってそんなしっかりしてたっけ?もしかしてうちの子できる子?って思ったけど、よっぽど僕が不安そうな顔していたのかな。

無事にお部屋まで送り届けて、二人とギューッとしてばいばい。

なんか送って「あげる」って思っていたけど、なんだかこっちがギブしてもらった感じがした。行きの自転車はふらふら、そわそわしていたけど、帰りは周りの景色まで見る余裕があって、すーーーっと冷たい空気が気持ちいい。